0808

ひばりのはなし

麦畑に、巣をつくったひばりがいました。

えさをとりに行くとき、ひなに
「よく気をつけなさい」
と、言い残しました。

親鳥が、餌をとって帰ってくると、ひなが言いました。
「さっき畑の持ち主が来て『麦刈りを隣の人にたのもう』と言っていました」

親鳥はこれを聞いて
「心配することはないよ」
と、いいました。

次の日、親鳥がえさをとって帰ってくると、ひなが言いました。
「畑の持ち主が来て『友達に麦刈りを頼んだ』と言っていました」

しかし、親鳥はいいました。
「まだまだ心配することはないよ」

その次の日も、親鳥は餌をとって帰ってきました。

ひなは言いました。
「今日は、畑の持ち主とその子が来て『自分たちで麦刈りをしよう』と話していました」

今まで平気な顔をしていた親鳥ですが、この話には、とても驚きました。
「さあ、それでは私達も覚悟しなくてはならない」
そして、ひなを連れて、麦畑を飛び去っていきました。

かしこい親鳥は、
「隣の人に頼むようでは、まだ心配ないけれども、畑の持ち主がみずからやろうというなら、間違いなくそうするだろう」
と思って、飛び立ったのでした。

修身の教科書より:「写生派の祖」円山応挙が犯した鶏の絵の間違いとは?

円山応挙という人が、毎日、京都の祇園の神社に出かては、にわとりの遊んでいる様子を見ていました。
じっとにわとりばかりみているので、周りの人は不思議に思いました。

一年ほどたってから、応挙はにわとりの絵をかいて、神社に納めました。

お参りにきた人たちは、
「よくかけてるなあ」
「まるで生きているようだ」
といって、ほめました。

ある日、やさいを売って歩くおじいさんが通りかかって、しばらく見ていました。

「にわとりはいいが、草があるのはおかしい」

と、おじいさんは、ひとりごとをいいました。

応挙は、そのことを聞いて、おじいさんの家へたずねて行きました

おじいさんは
「私は、絵のことは少しもわかりませんが、ただ長いあいだ、にわとりを飼っているので
羽の色つやが季節によってちがうことを知っています。
あのにわとりの羽は冬のようですが、そばに夏の草が書き添えてあるので
ふしぎに思ったのです。失礼なことを申しまして、まことにすみませんでした。」

応挙は
「よいことを教えてくださった」
と、ていねいに礼を言って帰りました。

応挙はそののち、またにわとりの絵を描いて、おじいさんに見せました。

おじいさんはすっかり感心しました。
そして、それよりも、自分のような者からも、よく話を聞いて、絵を描こうとする応挙を、本当にりっぱな人だと思いました。

 

円山応挙ってどんな人?

円山応挙は江戸時代中期にの画家です。日本の絵画の世界に、新しい考え方と技法を取り入れ「写生派の祖」とよばれます。

国宝「雪松図」

初等科修身(昭和17年)より